北欧の人が英語を話せる本当の理由

2020年から小学校で英語が教科になるそうだ。三・四年生から必修になり、教科書もつくられテストもはじまるそう。
先週の週刊新潮の藤原正彦さんの管見妄語でそのことへの危惧を語られてた。藤原さんいわく、教員の1/3が過労死ラインを超えてるのにさらに無理をさせても、国語や算数など基本的な教養を育む時間が圧迫された上に、成果は到底あがらないだろうと。

教育の質とか英語力の高さでよく引き合いに出されるのが北欧諸国だ。たしかにみんな英語が喋れる。若い人ほど、喋れる。昨年は産休育休もあって、ずいぶん長い時間をデンマークで過ごしたけれど、英語が通じてしまうからデンマーク語はほとんど上達してない。仕事はもとより親戚の集まりでも英語で話せてしまう。困るのはテレビやラジオ、小さい子どもたちとの会話くらいだ。
人口550万人の国。内需だけでは産業が伸びないから常に外を向いてきた。小さいからこそ外を向いてる。そんな風に語られることもあるけど、英語力の根本はそこにはないそうだ。

多くのデンマーク人はこんな風にいう。
「英語はアニメから習った。」
80年代以前生まれの人たちがテレビで見ていたアニメの多くは英語放送だったそう。彼らいわく、人口が少なすぎて翻訳する予算がなかったからだろうと。米国や英国から輸入されてくるアニメはそのまま放送されていた。誇張もあるだろうけど、たしかに僕らが母国語を学ぶ過程だってテレビ番組が大きな比重を占めていたから、やっぱり子どもにとって楽しいことは、知的好奇心を全開にする基本だと思う。書籍も翻訳されてるものは多くはないし、部数が少ないからか高い。人口のうち同じ割合の人が翻訳本を購入するとすれば日本で1000部売れる本はデンマークでは50部しか売れないことになる。

僕にとっても、「英語がもっとわかれば、もっとおもしろい仕事ができる」ときが来てからが本格的な勉強の時間だったように思う。街づくりとかクリエイティブについての本は日本語になっていない本が随分多かったし、ポートランドに出ていってからは目の前の面白い人たち、面白い現象を知るには、とにかく話すしかなかった。当初は”なんとかなる”程度の英語力だったから、ずいぶん準備や勉強をした。だからアメリカではいつも体調が悪かった。ビールとコーヒーの飲み過ぎだったのもあるけれど。
いま、デンマークの大人たちは少し心配してる。子どもたちの見ているアニメはデンマーク語に翻訳されてるのだ。オンデマンド視聴が一般化したり制作が内製化されたりして子どもたちは英語のコンテンツに触れなくなってきている。甥っ子たちと話すには僕がデンマーク語を勉強するしかないのかもしれない。