雑談ラビリンス 何かの記事で読んだことに、日本の男性は根源的には雑談が苦手だというのがあった。性別で何かを論じるのは憚られるけど、やはり差はあると思う。大学を出た時点での差はとても大きい。もちろん会話はできるのだけども、「目的のない意思伝達をする能力」が劣るそう。 これはもう周りの若者を見ても、自分自身も身に覚えがあって、宣伝の会社の新卒社員の頃、ほとほと困りはてた。商談をするにしても、アイスブレイクの話題が見つからない。数ヶ月前まで楽観的で偏屈な学生だった自分と、40代〜50代の相手との共通の話題が天気の話以外に思い浮かばない。それでもなんとか関係値を築いて仕事は進めなくてはならない。先輩を見てると、もう立て板に水のように次から次に話題が繰り出される。 藁をも掴む思いの僕の助け舟になったのは、新聞だった。スマートフォンのない当時の社会人は誰しも紙の新聞を読んでいたから、記事からの話題はやはり広がりがあって、僕は自分のからっぽの頭の引き出しにせっせと新聞記事のことを溜め込んだ。実際に大学ノートに記事を貼ってみたり、メモ帳にあれこれ書き溜めた。何より、記事から得る情報への相手との理解の差分が面白かった。のっぺりしていた会話が、立体的になる感覚。その人の思考の深い部分を知ることもできたし、新聞より奥の情報に触れることができた。 そうしていると、どういう話題をどういう温度で話したらいいのか、ようやくつかむことができた。(今でも困ることはあるのだけど。) 外国ではこれがもっと大事になるし、作法も異なる。はじめましての挨拶からのアイスブレイク、一緒に食事をする時の話題の選び方。特にアメリカ人は洗練された人が多い。言語能力の差よりもこれが大きかったと思う。彼らの卓越した質問力に根ざした本質への迫り方には学ぶところが多い。僕は母国語でも唐変木だったわけだから、あの頃のままでは到底ついていけなかったと思う。周りを見ていると日本語での会話に魅力がある人は、たとえ流暢ではなくても、いいコミュニケーションをされてる。ユーモラスな間合いでぐっと心を掴む方、ミステリアスな東洋人を演じる方。人との関わり方のセンスや経験がある人の振る舞いはとても魅力的だ。 仕事の醍醐味はそういう人間の関わり方や思考への触れ合いの部分が大きいと思う。もちろん結果は大切だけど、いい結果の根源には、いいコミュニケーションからの創発が必ずあると思う。