近すぎても遠すぎてもわからなくなる

この人は何をしてるでしょう。
ピクトさんなのでこんなに近くで見ると人かどうかもわからないですね。

ちょっと離れて見てみましょう。

なるほど、向かって右に向いて歩いています。

もうちょっと離れて見てみましょう。

実は誰かの後ろを歩いています。
追いかけているのかもしれませんし、
ただ後ろを歩いているだけかもしれません。

さらにもうちょっと離れてみてみましょう。

離れすぎて動きがわかりませんね。
だだっ広い空間に2人だけ居ることがわかります。
何をしているんでしょうね。

近すぎてわからないということ、
ビジネスや社会の問題にはそういうことが多いもの。
「街づくりにはよそ者、若者、ばかものが必要」って有名な
なんだか乱暴な格言がありますが、たしかにコンテクストを共有しすぎていると
わからなくなることは多いようです。
ヒトは同質性に居心地のよさを感じますから、同時に客観性を見失ってしまいがちです。

仕事において客観性を見失ってしまうことはなかなかどうして多いようです。
でも、変化を求めると、どうしても客観性が必要になります。

会社やサービスのロゴやスローガン、Webサイトをつくっていると
いつでも直面するのがこの事象。
近すぎるとわからなくなることがある。
僕自身もちいさな会社をしばらくやってみて
その難しさはよくわかるようになりました。

何かを一緒につくるとき、実はこのように
ただしく見える場所まで一緒にいく方法が
大切になります。

Design Thinkingをはじめ、よりよい方法を求めて次々にうまれてくる
様々な仕事の進め方も、何か斬新なアイデアをつくるよりも
多くの時間は「ただしく見える場所」まで歩いて行くことに配分されています。

年末になると何かと振り返ることが多くなりますね。
この習慣も、正しく見える位置に定期的に歩いていくように
先人たちが暦にプログラミングした習慣なのかもしれません。
みなさん、よい振り返りを。