大都市の中に現れる、子どもたちがつくるもう一つのまち

はじめまして、インターンのはるちゃんです。

 

2020年も残すところあとわずか。気持ちはせかせかと焦りつつも、ふとんでぬくぬくゆっくり過ごすのが心地良いなあとなんだか自分に甘くなってしまいながら日々を過ごしている。

 

そんなわたくし、はるちゃんは、普段何かと子どもに関わることが多く(大学の課題で小学生向けの教材や幼児向けのおもちゃをデザイン・制作したり、アルバイトでは民間の学童施設で先生をやったり)、リサーチやふれ合う中で子どもたちの柔軟性のある考え方や行動力に何度も驚かされ、「本当にそのままのびのびと、自分を持って育ってくれ〜..!」と感じている。

 

近年よく耳にするようになった教育に関する社会課題としても、大人が教えて子どもが知識を得ることだけでなく、子どもたちが自ら学ぶ主体的な姿勢が重視されていることもあり、教育機関や教材がそれをどうサポートするのか期待されている。

 

子どもたちののびのびとした思考や判断、行動を尊重しながらたのしく学べる場所ってどこなんだろう….どうやって学ぶんだろう….

 

そんなことから、未来をつくる今日の子どもたちの教育・学びについてリサーチすると、子どもたちの好奇心に応えつつ社会的な学びを得ることができる教育プログラムが、ドイツ・ミュンヘン市で開催されていた。

 

今回は写真を見るだけでもとってもワクワクしてくるその教育プログラム「Mini-München(ミニ・ミュンヘン)」についてお伝えしていきたいと思う。

 

 

遊びという学び

出典: Mini-München (https://www.mini-muenchen.info/)

 

ドイツのミュンヘン市で2年に一度、夏の3週間の間、市内のオリンピック公園のアリーナを拠点として、7歳〜15歳の子どもたちを対象に開催される教育プログラム、Mini-München(ミニ・ミュンヘン)。このミニ・ミュンヘンというちいさなまちは、なんと子どもたちによって運営される。

 

約40年の歴史のあるプログラムで、1日に約2000人もの子どもたちが参加する、まちをあげた大きなプログラムだ。(今年は新型コロナウイルスの影響もあり、その約40年の歴史上初めて東西南北4地区、40箇所の企業や機関での開催。参加人数も1日あたり約1000人の制限を設けたそう。)

 

貧富の差に隔たりなく多くの子どもに参加してもらいたい思いから、参加費は無料。単発的でなく長期的に効果をもたらすという点や、ヨーロッパの人々にとって大切なテーマの一つであるという「子どもと文化」に関わる点から、民間のプログラムながら自治体や多くの企業から信頼され支援を受けている。



出典: Mini-München (https://www.mini-muenchen.info/)

 

ミニ・ミュンヘンは前述の通り、子どもによって運営されるミニチュア都市である。

 

子どもたちは自ら社会的なルールや仕事をつくり、働いたり勉強することで共通通貨「ミミュ」を稼ぐ。稼いだミミュの一部は税金として市役所に納め、残りのミミュを使ってものや体験、さらには食べ物から土地までも買うことができる。

 

仕事の種類は様々で銀行、ワークショップ、市役所、新聞社、テレビスタジオ、ラジオ局、大学、研究所、芸術アカデミー、レストラン、廃棄物管理業、都市計画事務所、住宅建設、広告代理店、図書館、診療所、サーカス、大使館、博物館など、600ほどの職種があり(今年はそれぞれの人数が管理されてはいるが)選んだ仕事に就くことができる。

 

それぞれのユニフォームを身にまとい、そこのワーカーとなる。専門家気分も高まる普段の生活ではなかなかできないこの体験は、子どもたちにとって新鮮でワクワクの連続である。

 

実際に子どもたちの仕事場の一つでもある Mini-München web で参加した子どもたちの声を見ても

 

「はじめは少し混乱することもあったけれど、参加したことのある友達ができ、教えてもらうことができました。ゴミ処理の仕事をしましたが、ミニ・ミュンヘンはそれほど大きくなくてもゴミがたくさんあるということと、ゴミ処理場でうまく処理されていることに気づきました。とても面白かったです。」

 

「自分で稼いだミミュで活動する必要があったので、実際の生活を感じることができました。」

 

「期間の最後には建築事務所で仕事をしました。そこでは想像力をつかい、自分で建物を設計することができました。まるで自分が建築家になったようでした。ミニ・ミュンヘンは、私の夏休みの中で最も最高で変化に富んだ日々でした。」

 

「大学での勉強は最初は少し退屈でしたが、すぐにたのしくなりました。そのあと私はアニメーションスタジオに勤めて、アニメーションで使用するフィギュアを作成することができました。またプロとして漫画を完成させることもできました。」

 

など、自分たちでつくっていく普段の生活ではできない体験の中で、知らなかったことを知った喜び、自分にとって新しいことを吸収していくことをたのしむ気持ちを素直なことばで残している。子どもたちの成功体験や達成感、社会性や責任感を育む学びは、ここでの遊びからつくられているのだ。


出典: Mini-München (https://www.mini-muenchen.info/)

 

自分たちでつくっていくということ

 

お仕事体験といえば「キッザニア」を思い出す人も多いだろう。

どちらも子どもたちの好奇心に応え、社会参加への意識をもたらす素晴らしいきっかけではあるが、大きく異なる点がある。

 

それは「与えられてやる」か「自分たちで考えてやる」かだ。

 

ミニ・ミュンヘンではさまざまな機関でさまざまな専門的な役割を担い働くが、ただ表面的に体験をするのではなく、雇用や給与の支払い、価格の設定や売買の取引などといったお仕事の裏側的なところまでも自分たちで管理をするし、またその過程で出て来た問題は新しくルールや機関をつくり、解決していくのだ。

 

例えば、参加人数が増えて仕事に就けない子どもがたくさんいるという課題点が見つかったら、市議会(市議会ももちろん子どもたちが運営している….!)で議題にだしみんなで話し合い、市長(市長も子どもたちに選挙で選ばれた子ども市長!)が「この失業者問題を解決するために、こんな新しい仕事をつくって何人の雇用を確保します!」といった具合に決定を下す。そしてみんなでそれを試行錯誤しながらつくり上げていく。

 

だから100人ほどいるサポートスタッフもあまり口出しはしないのだという。正解や不正解を大人が定めて教えるのではなく、子どもたちがお互い協力しながら実行していく中で得た経験こそが大切なことだからである。


出典: Mini-München (https://www.mini-muenchen.info/)

 

揺るがないこと、新しいこと

 

ミニ・ミュンヘンが長く評価される背景にはこの「子どもたち自身で考え、実行できる」という、変化を受容し尊重する環境の実現とともに、開始当初から変わらず揺るがないルールが存在しているらしい。

 

①このまちに参加するには市民権が必要なこと

②このまちの仕組みは子どもたちの代表が決めること

③働くこと、勉強すること、両方ともお金をもらえること

 

この3つである。

 

ミニ・ミュンヘンでははじめに4時間仕事や勉強をすることで市民権を得ることができる(会社でいうところの試用期間みたいなイメージ?)。市民権を得ることでこのまちの一員となり、仕事を探すことができたりミミュの管理ができたりする。そして子どもたちそれぞれがそれぞれの立場を責任を持って務め、よりよいまちになるよう取り組むのである。また勉強することも社会的なこととし、ミミュをもらうことができる。どれも実際の社会生活でも大切な仕組みで、責任あることである。

 

このルールが揺るがないことで、このちいさなまちミニ・ミュンヘンでは堅苦しいプロセスでなく、自分たちでクリエイティブな判断、実行を遊び感覚で楽しむことが出来ると同時に、社会的機能を保ち、都市の機能や行政、仕事、生活のサイクルを学び、社会の一員としての自覚や責任を意識できるようになる。この経験は子どもたちの自主性を育み、未来までも大きくポジティブな影響をもたらすだろう。

 

このようにしてミニ・ミュンヘンは変化と継続をバランスよく保つことで子どもたちの学びを支えると同時に、ミュンヘンの一大プログラムとしてミュンヘン自体のまちづくりとしても一役買っているのである。

 

出典: Mini-München (https://www.mini-muenchen.info/)

 

やさしいまちの背景は子どもの権利の考え方

 

このようにミニ・ミュンヘンが多くの子どもたちにたのしまれる教育プログラムとして機能しているのには、ミュンヘン市の教育への考え方が大きく関わっている。

 

ミュンヘン市のホームページにもあるように、子どももそのまちに住む大切な一人であり、そのまちに参加する、共につくっていく権利があるという子どもの社会参画への考え方が市全体のポリシーとして前提にあるのだ。

 

子どもたちだからこその素直で正直な発見や行動、意見は、まちの大人が知らぬ間に慣れてしまったり無意識に受け入れているネガティブなことへの解決のヒントをビビッとあたえるような必要不可欠な存在だ。

 

それに、子どもにとってやさしいまちは大人にとってもやさしい。

 

現実にはまだ「子どもの社会参画はむずかしい」と考える大人も少なくないようだが、こういった市全体の取り組み姿勢から、子どもにとって社会というのは身近で、責任感を意識させる存在なのではないだろうか。

 

だからこそ「身近なところにあるけれど、いまいち中身は知らない」ような社会への体験、挑戦は、遊んで知っていくことがリアルでたのしい。

 

子どもたちが「社会は大きすぎるからわたしたち子どもは出る幕ないや」と思わないで、「わたしたちがつくっていけるんだ」と思えるようなミュンヘン市の取り組みがミニ・ミュンヘンを支える存在の一つとなっている。

 

子どもは案外子どもっぽくない

 

私のバイト先の民間の学童施設はこのミニ・ミュンヘンと通じるところがある。と思っている。

 

例えば、子どもたちの危険ないたずらを発見した時も「これはやったらダメだよ!」と怒るのではなく、なんでダメなのか、どんなことが起こるのか、相手の立場になってみたらどう思うか、これからどうするか子どもたち自身で考え判断できるよう見守る。

 

そんな環境だから小学校低学年と甘く見ていると、度肝を抜かれる。

 

たまたま置いてあった紙一枚とペン一本でも、顔を描いて目のところに穴を開けて「見て!お面〜!」と、大盛り上がり。「これを使って遊ぼう」なんていう声かけもなしで、自分たちで自然にお面を活かした遊びをつくって遊ぶのだ。そこにはお面をつくっていない子だって遊びに入っているし、「後から入ったからダメ」なんてことはなく互いを受容して楽しむことを知っている。すっごく大きな顔を描いて目の部分がうまく合わずいまいち納得しない子は、どうしたら納得できるのか、また再挑戦してみる。顔に紙を当てて目の位置を確かめながら描いてみたり、自分なりのプロセスで問題を判断し、解決しているのだ。

 

一方で大人が提案する遊びにはいまいち食いつかなかったりするものだ。一見くだらないようなへんてこな遊びでも、自分たちで作った遊びの方が何倍だって楽しいし、意味があるのだ。

 

子どもの目は鋭い。し、興味深い。

 

こういったことを見ると、子どもたちの学びは本当に流動的で常に行われていると思うし、家庭や学校だけではできない、試行錯誤の経験や可能性の発揮の場があることってとても大切だなと感じる。

 

だからこそそんな子どもの可能性を制限することなくのびのびと遊び、学べる場としてミニ・ミュンヘンの存在はとても大きな役割を担っていると思う。

 

現在、このミニ・ミュンヘンを参考に国内外問わずあらゆるまちで教育プログラムが行われている。今後のさらなる発展や効果もたのしみである。

 

 

 

 

参考:

Mini-München

ミニ・ミュンヘン研究会

Spielstadt Mini-München

muenchen.de