ギャングは畑も、街も、大学も

「お母さん、なんで結婚したの?」
「家族をつくるためよ」
「なぜ家族をつくるの?」
「子どもを社会の一員にするためよ」
「なぜ子どもを社会の一員にするの?」
「もししなかったら、世界は小狡いギャングだらけよ」
「なぜ?」
「ギャングは畑も、街も、大学もつくれないからよ」
「なぜ?」
「彼らは彼らのことしか考えてないから」

Stewart Brandの本にこんなくだりが出てくる。未訳だけど、原著で読みたい本。たとえば”社会の一員に”のところは、原著ではcivilizeになってる。辞書を読んでも教化とか文明化とか不自然な日本語だらけで、うまい言い方がなかった。

気づかぬうちにお金や状況に追い込まれて小狡いギャングの精神になってしまっている。貧富の差が広がりすぎたり、競争が激しすぎたりするとそういうニュースが増える。

バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ(BTF)は3作を通して不良・ギャングと、中流市民との戦いを描いてる。主人公の未来は人と争いすぎると不幸に向かっていく。BTF1やBTF2では日本で言う所の団地住まいの普通の暮らしの穏やかな美しさを描いているし、3では開拓記の慎ましい暮らしの中での、街づくりのあたたかさや市井の人たちのユーモラスな逞しさが垣間見える。BTF3では冒頭にしか出てこない先住民にとってCivilizeは残酷だったわけだけど、つまり「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました」的な論になる。その構造はどこにでもあって、BTF2のギャングの親玉のモデルだった人が大統領になってしばらくたつ。世界は映画のように急には変わらないし、僕らにはタイムマシーンもないのだけど、少なくとも、ひとりひとりが冒頭のくだりのような意識をもっていないといけないですね。